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君が代
名前:豊葦原瑞穂国日本
投稿日:2013年05月15日 23:51:30 No.806001
日教組は脳が腐ってるから理解できないんです
徳川幕府は、初め『大中黒旗』を日本総船印、『日の丸』を徳川幕府の船印と考えていたようであるが、薩摩の島津斉彬公の意見で、逆転した結果であった。徳川幕府は、安政五年(1858年)7月9日に『日の丸』を国旗(日本総船印)とする旨をアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシア等の修好条約を結んだ国に通達した。『日の丸』を国旗として国際的に認知することを求めたのである。 『日の丸』の歴史をたどると、大宝律令(701年)が制定された頃、太陽と月を表す竿からつり下げる長方形の日幅(につばん)・月幅(げつばん)が宮中の儀式で用いられていた記録がある。後醍醐天皇も用いていた。 また、源平の合戦や戦国時代にも、『日の丸』の旗を旗印として用いた記録がある。また、江戸幕府になってからも、延宝元年(1673年)以来、幕府直属の御城米積船の船印として『日の丸』が用いられていた。幕府の船の船印から日本の総船印にこれを格上げしたのである。 明治維新(1867年)になってからも、これを受け継ぎ、太政官布告第57号によって日本の船印として『日の丸』が確認された。以後、国旗としての明文法はなかったものの、国際的にも国内でも国旗として認知されてきた。
国歌については、明治3年(1870年)イギリス人の軍人フェントンが、ヨーロッパ各国には、国歌があり、船が入港するときに国歌を演奏する。日本にそれがないのは残念なので、歌詞を出してもらえば私が作曲すると、大山巌に伝えた。大山は愛唱の薩摩琵琶歌「蓬莱山(ほうらいさん)」の文句から取り出して、フェントンに示した。これが、『君が代』の歌詞である。 フェントンの作曲は、不評だったので、現在の曲は、日本の伝統音楽の雅楽の調で、明治13年(1880年)奥好義(おくよしいさ)が作曲し、ドイツ人のエッケルトが編曲したものである。同年の天長節(明治天皇誕生日=11月3日)に明治天皇の前で初めて演奏された。そして、明治26年(1893年)より祝日大祭日の唱歌として「君が代」の使用が始まった。以後国歌として扱われるようになっていく。
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