[2605] 画像タイトル:(無題)
(無題)
名前:ぬははっはw
投稿日:2018年02月21日 00:31:57 No.2605001
チョンコリアンのデマには負けませんw
1964年の東京五輪の時はラルースの「日本は土間で簡単な料理しかしない」という嘘を真に受けた印、仏、伊等が自国からシェフを引き連れて選手村にやってきたが、日本が用意した選手村食堂を見て仰天した。日本は当時日本中の高級ホテルのシェフを選手村食堂に投入して更に全国から料理人を募って食堂を運営していた。地方からやってきた料理人の中には稚内の大衆食堂で漁師達にラーメンやオムライスを造っていた料理人も居たが、日本のホテルのシェフ達は 用事帝国ホテルの総料理長だった村上信夫氏の指揮の下 (ちなみに、村上氏はフランス料理の総本山であるホテルリッツで修行をした人である。) 『国のために』と一致団結してその料理人達に自分の持てる知識とノウハウを惜しみなく与えて教育を施していた。そのせいで選手達とやってきた各国のシェフ達はする事が無くなってしまった。やがて競技日程が終了して閉会式が終わった後各国選手達は手にしたメダルを持って食堂料理人の元にやってくる。そして口々に「あなたたちの料理のお陰でメダルが獲れました」ろ、料理人達を称えたそうです。こうして日本の料理界は世界から絶大な信用を得る事になりました。「日本に来ても食い物に困る事は無い」とね。ちなみに、現在東京は世界一ミシュランの星の数が多い都市なのだそうです。フランス、パリや米国ニューヨークよりも上なのだそうで。その理由の一端がこの東京五輪の選手村食堂にあるのだと思われます。もう一つの理由が50年以上にわたって宮中の晩餐会を仕切った秋山徳蔵氏でしょう。この方はフランス料理の帝王と呼ばれたホテルリッツ総料理長オーギュストエスコフィエに師事して20世紀の帝国主義の時代の列強の国家の威信を懸けたバンケットの現場に居た方でした。この方は帰国後料理で昭和帝を支えて戦後日本の晩餐会の一切を取り仕切っていた人ですがその傍ら後進の為に自分の持てる知識を1600ページに及ぶ本に纏めて出版しています。その本は現在も多くの日本人シェフに愛読されています。姦酷の料理界の信用が全く無いのは子行った信用の下地が無いのが大きいだろう。口先の宣伝だけでは信用は生まれないのだ。
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