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Re:家政婦奴隷 青井マリ
名前:大和魂
投稿日:2009年07月07日 07:38:16 No.53002
この三島氏に先立つ大正10年、『古事記神話の新研究』で、やはりシュメールの故地メソポタミアと日本文明との関係を追求したのが石川三四郎氏である。
石川氏は明治時代に活躍したキリスト教社会主義者だが、社会運動への弾圧が厳しくなるなかで日本を脱出。ヨーロッパや北アフリカを流転して歩いた。この本の構想はその放浪生活の中で生まれたもので、したがって用いられた資料の多くは西洋のものであった。
石川氏もまた、日本とメソポタミアの文明が非常によく似ていることを、シュメール神話と日本神話の比較などから指摘する。が、彼の場合、直接的な日本人シュメール起源説をとらず、そのメソポタミア文明の媒介者としてヒッタイト民族を置くのである。
鉄を発明した民族”として知られるヒッタイト人は、紀元前2000年ごろ、いずこからともなく現れて、トルコ・アナトリア高原に一大王国を築く。その勢力はシュメール文明を継承したバビロニア王国を滅ぼし、当時、世界最強を誇ったエジプトを破るほど強大だったが、紀元前13世紀末に突如として消息を絶ってしまう。
ヒッタイト人もまた、シュメール人と同様、どこから現れ、どうやってその“鉄の文明”を築き、どこへ行ってしまったのか、まったく解明されていない謎の民族である。が、石川氏はいう。
「私はこのバビロンの神話を日本に伝えたのはおそらくヒッタイト民族であろう、ヒッタイト民族はすなわち我らが天孫民族であろう、と信じる者である。」
“ヒッタイト人の謎”に挑戦していることである。
彼は、紀元前2004年にメソポタミアから突然姿を消したシュメール人こそ、ヒッタイト民族の祖先ではなかったか、と考える。なぜならば、シュメール人の消失とヒッタイト人の登場は、ほとんど時期を同じくしており、シュメール人の滅亡を歌ったメソポタミアの哀歌は“彼らは遠い山中に連れ去られた”ともいっているからだ。
また、アナトリアの厳しい自然の中に、突然、高度な金属技術を持った新しい文明が誕生した謎も、彼らがシュメール人だったとしたら、たちどころに氷解する。そして何よりもヒッタイト人は文字を扱うことに優れていた。ヒッタイトの遺跡のひとつでは、古代世界最大の粘土板文書図書館が発掘され、そこには、当時メソポタミアで使われていた全ての言葉が記録されていたのである。つまり、石川説もまた、少し形をかえた「日本人シュメール起源説」なのである。
とてつもない日本とはこのことか
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