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[82] 画像タイトル:(無題)
今上天皇の精液の中 名前:目覚める日本人 投稿日:2010年03月16日 23:31:51  No.82001
2001年12月23日、今上天皇は「桓武天皇の生母が韓国の武寧王の子孫であるとしている“続日本記”の記録に朝鮮とのゆかりを感じる」と発言し、日韓両国に大きな反響を起こした。韓国人の中には、それ見たことか、と拍手喝采した人間も多かっただろう。
 しかし、日本書紀には、武寧王は日本の福岡の加唐島(かからしま)で生まれた、と記してあり、そのことから武寧王は「シマ」と呼ばれ、現在もその島には武寧王の伝説が残っている。
 一体なぜ百済の王が九州に生まれたのか?答えは二つである。そもそも武寧王は日本人だったから、もしくは、百済の王が日本で生まれるほどに百済は日本の覇権下にあったから、このどちらかである。
 武寧王が日本人だとしたら最初から天皇朝鮮人説は壊れる。だから百歩譲って日本で生まれた百済人だとしておこう。
 実は武寧王から桓武天皇の生母までに、なんと二百数十年の時代(当時の寿命からすれば10数代後だろう)が経っているのだ。それほど長い世代に渉って日本人との結婚を繰り返せば、もう桓武天皇の生母は「限りなく日本人化」していたことになる。この時点で「天皇の先祖は朝鮮人」という主張は弱くなるのだが、ついでにまたまた百歩譲り、計算の都合上思い切って「桓武天皇の生母は百済人」、という前提で計算してみよう。
 桓武天皇(第50代)は、今の天皇(第125代)の75代前の天皇である。とすると、今上天皇の血液の中には「2の76乗分の1」の確率で百済人の血が混じっていることになる。





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